〜WEB制作を学ぶ全ての人へ~

木漏れ日の中、静かに佇む木。
それはクリエイターの学びが集う、小さな図書館。

そっと手を伸ばせば、本に手が届きます。

知恵と知識が集まるこの木で、どうぞ心ゆくまで羽を休めていってください。

そもそも何者なの?遅れながらの自己紹介

はじめに

今回は番外編ということで、そもそも僕が誰なのかという自己紹介をしたいと思います。

最近何かと「誰?何者なの?」というご質問をいただいてまして、そういえばあまり話したことがなかったなと。

緩い感じで独立に至る経緯なども交えながら話していけたらと思いますので、ご興味持ってくださった方は付き合ってくださると幸いです。

まず僕の経歴としては、以下の通りです。

2000年生まれ。大阪府出身。制作会社から独立しWeb制作フリーランスとして活動して3年目に突入。
WordPressの構築と美容系LPの制作が得意で制作実績100件以上(前職38件・フリーランス63件)以上。

2024年よりWEBフリーランスの実態を発信する当ブログ「WEBの図書館」を運営。

現在はチームで案件対応を行っており、制作会社立ち上げに向け奮闘中。

 本名は谷向礼地。

とまあこれだけ見ればしっかりしているように思えるのが、切り抜いた情報の恐ろしいところですね。

24歳で立派ですねと言っていただくこともありますが、とんでもない!

ここに至るだけで、僕には本当に沢山の失敗と逃げと挫折がありました。

そんな話を淡々としたいと思います。

WEB制作を始めた理由

WEB制作を始めた理由

では僕がどうしてWeb制作の学習を始めたのかお話しすると、そもそも目標であったわけでもなく成り行きでした。

僕は家庭の事情もあり、18歳で高校を卒業して働き始めました。
がこの就職先というのがとんでもなくブラックで、具体的には新卒を集めた研修で工具が飛んでくる、胸倉を掴まれて〇ねと罵倒される等まあ最悪でした。

ですので、新社会人生活に憧れを抱いていた僕の心はなんと1か月で折れることになったのです。

ですが別に環境が悪かったから仕事が続かなかったのではありません。

次にすぐ就職した会社は割とホワイトでした。
それでも心は満たされませんでした。

毎朝同じ時間、同じ通勤ルート、同じような仕事。二つ上の先輩を見ながら、大体2年後には自分も同じような給料かと、自分の人生の「先」が見えてしまったような閉塞感。

他にもまあ没頭したらしたで周りが見えなくなるのに、マルチタスクは苦手。業務上の無駄が気になって仕方ないなど、要は「社不」だったわけですね。

加えてADHDなので、とにかく協調性がありませんでした。

これが大人になることだと自分に言い聞かせても、やりたいことや生きる意味についてばかり考えてしまい、ああ。自分は人の中でやっていけないんだと。変に器用貧乏で期待に答えようとしてしまうから逆に苦しいんだと。中途半端な自分を飲み込むのに少し時間がかかりました。

当たり前の生き方にどこかなじめない自分は一人で生きていく力をつけるしかない。

そうしてフリーランスという道を模索し始めたとき、WEB制作と出会ったのです。

PC一台あればどこでも仕事は出来て、収入は青天井。
おまけに未経験からでも稼いでいる人はいる!「これはやるしかない!」そんな感じで調べだして割とすぐに退職し学習に没頭したんですね。

まあよくある何かを犠牲にしないと成果は得られない!自己投資することが大切!と言った言葉に影響されて。
19歳という感化されやすいお年頃だったのです。

学習を始めるも挫折

学習を始めるも挫折

さて、念願のニートになり、僕は学習に邁進しました。

らいち

ですがとにかくお金がないのでケチって独学で(笑)

しかし聞ける人もいない。何が分からないのか分からない。調べてみても分からない範囲が多すぎるし、人によって言っている事も全然違うと、頑張りたいとは思っていても、何から初めて良いか分からず、結局目についた良さげなデザイン本等を買いあさり、目を通して出来る気になっていました。

ちなみにコーディングの学習からは逃げていました。
理由は俺文系だし、コーディングは難しそうだし、デザイナーを目指しているからコーディングは後回しでいいやと。
まあ今思うと完全に阿保ですね。

さらに学習を続けなければいけないのに、サボってしまって大学生になった友達と遊び、なんでみんな遊んでいるのに俺こんなことしてんだっけ?とか逃げてしまう自分にも自己嫌悪に陥ったり。

まあ最悪でした。
目減りしていく貯金にも一喜一憂してあの頃の自分はメンタル的にも健全では無かったと思います。

それで僕は考えたのです。
そうだ!制作会社に就職しよう!と(えぇ~正社員は懲りたんじゃなかったのかよ💦

結局俺は他の人とは違う!自分の力で生きていくんだ!なんて言っても世間知らずな少年の決意なんてそんなものですよね。

人からの見られ方を考えて、わずか半年でフリーランスとは名ばかりのニートを卒業しました。(お前フリーランス向いてないよ。

制作会社への就職を正当化した理由はこうです。

制作会社に就職すれば、働いて収入を得ながら、実務をこなし、現場で通用するスキルを得られる!学習に投資するお金もないし、制作会社で働いた実績やコネを作れば独立もしやすそう!

まあこんな感じですね。

まあこの幻想は、この後すぐに打ち壊される事になるのですが…

制作会社に就職して挫折

制作会社に就職して挫折
らいち

さて皆さん。突然ですがリアリティショックという単語をご存じでしょうか?

入社前に想像していた理想と、現実の間に大きなギャップを感じる事で、特に新卒社員によく見られる現象ですが、僕は制作会社への就職で、このギャップに嵌り、苦しむことになります。

考えてもみてください。

エネルギッシュで、やる気があり、吸収力があり、SEやフロントエンドの基礎知識があるそんな大学新卒と、就職した会社もすぐにやめている、WEBの知識も独学でかじっただけのどこぞの馬の骨とも知れない高卒。どちらにリソースを割いて教育したいか明白ですよね。

そもそも中途採用者には企業は即戦力になれることを期待しています。

それが無い自分は電話対応やエクセルにただ数値を入力していくような。ある意味誰でも出来る仕事を任され、入社前に想像していたような、制作に携わることが中々出来なかったのです。

また逃げるか。
そんなことも考えました。

しかしここで逃げたら、これから先の自分の人生の全てに責任が持てなくなってしまうような。

そんな気がして、ついに決心しました。

「しっかり学習に自己投資して、会社で実務を任せてもらえるようになろう!」と。

それから僕は某大手スクールで学習を始めました。

昼は制作会社、夜は学習と二足鞋の生活がスタートしたのです。

またしても挫折を経験するとも知らずに…

スクール選びに失敗し挫折

スクール選びに失敗し挫折

さて、当時の自分はわりとお手頃な価格で始められて、カリキュラムも充実していそうという理由だけでスクールを選びました。

しかしメンターがいるわけでもなく、動画を見てあとは自分たちで頑張ってねという学習スタイルだったため、結局分からないところをなんとなくのまま学習を進めてしまっていました。

さらにどうも自己規律が保てません。

仕事終わりに学習を続けていたのですが、残業が続くと「今日はいいかな…」なんて自分に言い訳したりしてしまいましたし、学習していることを伝え、実務を少しづつ任せてもらえるようになっても、どうにも空回りしている感じがして…

つまり毎晩学習を続けているわけですから、昨晩学習したことが実務で通用するか毎日トライ&エラーを繰り返していたのですが、どうにもしっくりこないのです。

そもそもそのスクールコンセプトとしては、基礎を気軽に浅く広く学べるということで、実務で通用しないのは当たり前なのですが。

ですが、とにかく実績が欲しかった自分は行けるだろう!と自分を鼓舞し、ついに本格的な実務を任せてもらう事になります。そうして大失敗をするわけですが…

大切な案件で大失敗

大切な案件で大失敗

ヒヤリングを元にワイヤーフレームを作成して、クライアントに確認してもらうのですが、一向にOKをもらうことができませんでした。

ヒヤリングも悪くなかったのに、なぜだ…と考えました。

今から思うと、失敗した原因を説明すると、大雑把なヒアリングをしたことです。

当時の自分はまだわかっていませんでしたが。

ページ数6つのコーポレートサイトの制作案件で納期は1ヶ月だったのですが結局ワイヤーフレームで4週間経ってしまいました。納期まであと、3日…

絶対間に合わない….どうしよう…

不可能だと思い、とりあえずクライアントに余裕を持って納期を2週間後ろ倒ししてもらえないか相談しました。


結論としてはOKをもらえたのでよかったです。
まあ、この後も1ヶ月ほど納期が遅れてしまうのですが…

クライアントのタイプは少しイケイケ系なタイプの社長でした。
どんなコーポレートサイトを作りたいですか?など聞き、

「そうだねえ、こうなんかシュッとしてて高級感のあるいけてるサイトがいいねえ。」
などこんな感じの方でした。

まあ、僕も僕で3案件こなしるし、いけるだろうと思い、

「あ〜なるほどいいですね!」と進めてしまいます。

今となると、この頃の自分をぶん殴りたくなります。
このヒヤリングが雑になると、その後の制作物に対してのイメージのすり合わせが極端にグダグダになります。
そのため、ヒヤリングでは参考サイトやその場でパッとイメージをすり合わせておくことが必須になります。

なので、ワイヤーフレームが完成しても、デザインの作成でなんか違うんだよなあとクライアントから指摘を受け、また4週間くらいデザインの作成にかかりました。

ここでもうひとつ問題が起きます。
それは、この4週間かかることに対して、
「あれ?そういえば、納期2週間後ろ倒しっていう話じゃなかったっけ?もう2週間すぎてるけど、どうするの?」と言われたのです。

僕はえ?あなたが「何度も何か違う。ここはもっとかっこよくしてほしい。」など確認しては、また修正としてきたから、納期が遅れてるのでしょう。
だから、納期が遅れることは認識していると思い込んでいました。

しかし、そうではありませんでした。
クライアントは制作のことについては全く知識がないため、何にどのくらいかかるか知らないのです。
なので、約束した納期についても「こいついつになったら納品してくれるんだ」という感じでした。
僕は謝罪と併せて、制作案件の一連の業務のフローを説明し何にどのくらいかかるので、後このくらいかかりますと説明しました。

何とか、事なきを得て、4週間猶予をもらったので、その後のコーディング以降は何とかスムーズに納品することができました。
この案件で、猛反省しました。
ヒヤリングでもっとこうしておけばよかったと。

仕事を任せてくれた上司にも、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

分岐点になった出会い

分岐点になった出会い

もっと実務で活かせる本格的な知識を学ぶ環境が必要だ。

そう考えていた時、当時取引のあった他制作会社のディレクターAさんに出会うことになるのです。

Aさんは某国産自動車メーカーN社の採用LP等も作った実績のある方で、僕の一つ上の年齢でありながらディレクターをされていました。

正直若くしてこの業界に入ったと自負していた自分は、劣等感を感じていました。

飲みの席で徐々に会話は進み、僕はAさんに色々と質問をしました。

将来的には独立したいと考えているんですけど、一向にそのビジョンが見えてこないです。
どうしてだと思いますか?そんな漠然とした質問をしたと思います。

するとAさんはこういいました。

「そもそもしっかりとした見積の作り方は分かる?納品前のチェック項目は?タイムマネジメントは?進捗報告資料の上げ方は?Gitでの案件の進め方は?納品までのチェック項目は?」

そこで初めて気づきました。
自分は何もわかっていないことに。

何が分からないか分からないことには、成長が出来ないことを。

Aさんは続けます。「デザイナーやコーダーとして独立できるだけの能力がある人は沢山いる。でもそれが出来ないのは他のスキルが足りていないから。コーディングやデザインのスキルだけでなく営業や顧客管理も覚えていかないとね」と。

そこから僕はAさんの元で実務を学ぶことにしました。

そこで実感したのは、まず目的意識が大事だということ。

漠然とフリーランスになりたいとだけ考えていましたが、なぜそう思うのか?具体的にいくら稼いでどういった生活がしたいのか?何が得意で、何が好きか、目的を達成するために今何が足りていないのか。

これらがはっきりしないと、逆算した行動に繋げることは出来ません。

もう一つ学んだのは、環境が何よりも大事だということ。

進学校に通えば、大学進学のための知識や受験勉強のノウハウを学べますよね。

周りもしっかりと勉強する友人ばかりなら、自分も感化されるはずです。

らいち

反対に僕のように馬鹿高に通うと、大学進学ってそもそも何?というような生徒までいるくらいで(笑)

要するに熱意と知識が得られる環境に身をおく事が大切だということですね。

自分一人の気づきや努力なんてたかが知れています。

その道で何年も継続しているプロには何もかも及びません。

意固地になったり、思考放棄せずに、そういう方に早く学びを得ていればなと体験を通して実感しました。

その後、Aさんの元で学びを続け業務提携をしてもらい、何とか収入を安定化させ、実績を作り独立することが出来ました。

挫折経験に思うこと

挫折経験に思うこと
らいち

まあこの後もトラブルは色々とあるのですが…
制作会社の裏事情暴露して会社の元上司と揉めたり、無理して案件を取り損害賠償請求されたり、懇意にしてもらっていた取引先が倒産したり、油断して契約を切られたり、共同経営者に500万円ものお金持ち逃げされたり…

ですがこれからも尖がっていきます。

何故なら自分には普通の生き方が出来ないからですね。ただ生きているだけの人生なんて、緩やかな死と同じだと本気で思っています。そもそも生きる意味なんて無いですからね。所詮たまたま生まれて、それも知的生命体として生まれてしまったから、生きる意味を考える。

僕にもそんな時期がありましたが、考えてみれば自分含めた人間には生きる意味があるなんて考え方そのものが他の生物を下に見ているずいぶん高尚な考えだなと。

ちょっと思想強すぎましたね(笑)

らいち

要はそんなものに捉われるから苦しくなるんだと言いたいんです。

生きる意味なんてない。だからこそ好きに生きたらいい。来世も、前世もきっと存在しない。死ねば無になるだけ。その時まで、やりたいと思ったことをする。

全ては後付けで、死ぬ前に見る走馬灯のために生きている。

どんなどん底の時も、そう思えればあとは上がるだけなので楽でした。

まあ自分は守るべきもののない人間なのでそう思えるのかもしれませんが。

今学習で孤独な方や、フリーランスを目指している方にそう伝えたいのです。

賢い人が成功するわけでもありません。どちらかというと馬鹿になることが大切なんです。

いちいち全ての物事の意味や意義を考えていたら、行動など出来ません。

やるべきと思ったことを、世の中のニーズに合わせてやればいいんだとね。

ブログを発信する理由

ブログを発信する理由

僕の自分語りにお付き合いいただきありがとうございます。

最後に簡単にブログを運営する理由について話したいと思います。

実は恥ずかしながら、今日話したような失敗の内容やブログ記事内でのお話しは、僕自身が蓋をして、見なかったことにしてきた黒歴史です。

馬鹿にされ、嘲笑らわれ、貶められ、無視をされ、昔からの、ADHDだった僕の忘れたい記憶でした。

ずっと失敗に蓋をして、忘れたふりをして、成長したふりをして背伸びをして生きてきました。

ですがある時気づいたんです。

この劣等感、コンプレックスこそが一番強いエネルギーだなと。

なんとも悲しい話ですが、人の負のエネルギーこそがここまで文明を発達させたわけですしね。少しでも楽をしたいや、戦争で勝ちたい。そんな負のエネルギーが。

それに、自分が経験した黒歴史を、忘れて蓋をして上手くやっているように見せてしまえば、本当に全てが無駄になると。

今でもあの時の道を通れば、街に帰れば、忘れたい思い出が沢山よみがえります。

でもそんな過去のうずくまる自分を成仏させるには、この経験を多くの人に発信して、参考にして、役立ててもらう。

そうすることが唯一、過去の自分の失敗を意味のある行為に変える事ができるなと。

まあこれも後付けですね(笑)

らいち

それに学習期間中、本当に今日から使える有益な発信をしてくれている方もほとんど居なかったことにムカついてもいました。
自分が独立出来たら、出し惜しみせず全て話そうと考えて居たので、それが少しづつ叶い始めてうれしいです。

また、このような経験から、皆さんに同じ思いをしてほしくないと思い、この度個別相談会を実施することにしました!

ご興味ある方はぜひご覧ください。

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らいち

ダメダメだった自分でしたが、今は仲間にも恵まれ、人に感謝されるようになりました。

最近だと、古民家カフェのHP制作を担当させていただいたのですが、大変満足していただき、雪の降る日、貸し切りにさせていただき、店主の方とチームメンバーたちみんなでふるまわれた料理とともに酒盛りをさせていただきました。

蝋燭の光で暖色に色づくにぎやかな店内と、窓越しに見るしんしんと振る雪の静けさを今でも覚えています。

この記事が上がるころには春が来ているかと思いますが、これから新しくWEB制作の学習にチャレンジされる方も含め、本当に応援しています。

これからも失敗も沢山すると思いますが、どうかこのブログを含めご愛顧していただけますと幸いです。

皆様の力に少しでもなれるよう、これからも発信を続けるとともに、目標である制作会社化を叶えたいと思います。

お互いに頑張りましょう!